Songマラソンについて②

思い返すと、第1回では意地になって、

「震災とは無関係です」

と、声高に主張した。
それは

「今のタイミングで、震災以外のチャリティーはちょっとね…」

と、言われたのが、悔しかったから。
だけど、必ずしも、そうではなかったことに、気付かされた。
震災の時、計画停電、品切れ状態、ガソリンスタンドの閉鎖、相次ぐ余震。
出かける度に、必要最低限の物を車に積んで。
帰れなくなったら、どうしようと、怯えた。
あの日々は3ヶ月ぐらいの感覚だったけど、思い起こすと、1ヶ月ちょっと。
その時から、ずっと、考えてる。

「私にできること」

だけど、私にできることなんか、募金箱にちまちまと、小銭を入れること。
しかも、100円とか、10円とか。
私の入れた小銭が、他の人が、入れたお札の中に埋まっていくのを見て、自分の存在が、どうでもいい、ちっぽけな存在に見えた。
目を逸らすように、逃げるように、募金箱を見ないようにした。
でも、無関心を貫けるわけも、なく。
無力感に苛まれた。
でも、それを重ねる度に、逆に言えば、小銭を入れることはできるのだと、思った。
そして、自分の言葉じゃなくても、私の知ってることを伝えることも、できる。
私でも、できることはあるのだ。
イベントとして、成立させるのは簡単なことじゃないけど、みんなに、知ってもらいたい。
だから、Songマラソンを始めた。

「あなたが、入れてくれたお金は金額に関係なく、必ず、誰かの救いになる」

それは私自身が、思ったことだし、伝えたかったこと。

「募金総額○○億円」

と、伝えるニュース。
その○○億円の中には確実に、私の入れた、10円も、カウントされてる。
それだけのことだけど、自分が、意味のないちっぽけな存在だとは思わなくなった。
この世界に、自分が、存在している証に思えて、私の方が、救われた。
世界と、私の閉ざされた心が、繋がった瞬間だと思った。
人はそうやって、繋がっていくのだ。
それを確信した。
それをイベントに関わってくれた、全ての人に、感じて欲しい。

「気付くことで、それぞれの明日は繋がるかもしれない」

国境なき医師団のパンフレットの一文だけど、そういうことなんだと、身に沁みて、分かった。
私が、助けたいんじゃない。
私が、助けて欲しいんだ。
世界と、繋がるために。
それを忘れていた。

Songマラソンはそのために、作っていきたい。